ESSAY Sept 16

2021.09.16

Blooper

 

25年の後に

 

 

レネ・ハロップさんについては、いつか詳しいストーリーを書きたいと思っていますが、彼と知り合ったのはたしか1996年。大手量販店に勤めていたことのある稲見一郎くんの紹介で、ヘンリーズフォーク・オブ・ザ・スネークリバーの流れるラストチャンスという集落に訪ねたのがきっかけでした。彼は脂ののりきった50代初頭、奥さんのボニーさんといっしょに家内制手工業のタイイングビジネスをずっと守ってきたプライドが直ちに感じられました。

 

アメリカンFF のビッグバンには、1971年の本「セレクティブ・トラウト」、1975年の「フライフィッシング・ストラテジー」が大きく寄与していますが、筆者ダグ・スイッシャー&カール・リチャーズと親しくつきあい、彼のコンセプトを洗練されたフライで実現したのがレネ・ハロップでした。「セレクティブ・トラウト」の冒頭では、おもにヴィンス・マリナロ、アーニー・シュウィーバート、アート・フリックら東海岸の先駆者たちに言及があるのですが、「ストラテジー」はハロップ、ローソンといったロッキー山脈周辺の若い才能たちに謝辞が捧げられている事実は、その数年の間にフライフィッシングの世界が音を立てて変わっていったことを暗示しています。彼のタイイングビジネスはまさにその時期に立ち上がったわけで、ハロップさんはあっさり「運が良かった」と言いますが、成功を収めるためには並々ならぬ努力と献身が必要だったはずです。

 

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4人によるフライ。開いているボックスにはボニーさん考案の「パラスピナー」が

 

ブラックフット族とラコタ・スー族の血を引くハロップさんは「土地の力」を信じています。先祖たちが暮らしたこのアイダホ州をほとんど出ることがないのはそのせいで、1993年に招聘に応じて来日したのはきわめてまれな事だったようです。自分たちが生まれ育った、パワーに溢れた土地の声を聞きながら暮らすというのが彼らの日常。夏の夕暮れ、ラストチャンスの川べりには白いシボレー・スコッツデールが停まっていて、レネとボニーが山に沈んでいく夕陽を見つめています。

 

彼は言います。「急いで動くと、いろんなことを見失う。マスを追いかけるのもシカを追いかけるのも、心構えは同じだよ。ゆっくりと、注意を払い、五感を研ぎ澄ますこと。ヘンリーズフォークを釣っていると、時間の感覚は消え去ってしまう。私が立ち込んでいる場所は、60年前と同じだ。ささいな変化はもちろんあって、中州の形が変わったりはしたが、私の心のあり方は昔と変わらないよ」。知り合った頃はまだヒゲに黒いところがありましたが、76歳の今では真っ白になりました。

 

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ウッドロード 16の、お気に入りのスポット にて

 

ハウス・オブ・ハロップは、アメリカに残った最後のフライメーカーと言って良いのですが、その販売先は全世界でわずか4つしかありません(生産が追いつかないから)。レネ&ボニーといっしょに仕事をしているのは娘のレスリーと息子のシェーン。でも彼らは定職があるのでタイイングはお手伝い程度、つまり供給量はかなり限られています。なにせ米国の3店舗では、入荷してディスプレイのケースに入れた瞬間、左右からお客の手が伸び、あっというまに売り切れというのがお決まりのパターン。ヘンリーズフォークのトラウトハンターでは、シーズン中は毎朝ハロップさんが直接足を運んでフライを納品するのですが、片っ端から売れていく。フライディスプレイの空きスペースが、最新のハッチを物語るというわけです。もしお近くのフライショップで純正ハウス・オブ・ハロップのフライを見つけられたら……僕だったらがっさり買いますね。

 

Baetis

 ベイティス。羽化に成功して浮かぶもの、羽根が水面に囚われているもの、殻を脱ぎきれないもの……

 

創業以来、何十万という桁外れの数のフライを世に送ってきた彼らの作品(そう呼ばせてください)が、1本何百円で買えるというのは奇跡のようなものです。彼らの思考、彼らのテクニックは、2冊の著書と数多いビデオ、DVDが教えてくれます。 

 

 

東 知憲

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